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最終更新 2024/07/28 UTC
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楽天 神宝弓 戦 弓術家愛用品 在銘 焼印 尾州成 差矢弓 嘉永五年赤墨書
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時代物 和弓 嘉永五年赤墨書銘黒漆塗 差矢弓 尾州成 焼印 在銘 弓術家
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渡鹿庵】[柴田勘十郎(平銘)] 7072 竹弓 螺鈿塗弓 21kg 並寸 ニベ 弓道
・嘉永五年(1852年)徳川将軍、徳川慶勝の時代に作られた弓になります。
・弓の成りを見てみますと、下成りに反がなくほぼ直線の形状ですので尾州成(尾張)、現在の愛知県西部の弓師が作成した弓と思います。
・弓の曲線に沿った長さを測ってみると、全長約166cmと標準的な弓の長さよりもだいぶ短く、全長だけを見れば洋弓の全長ぐらいの長さになります。
調べてみた所、短い弓は通し矢などの弓術に使用される弓の特徴のようです。通し矢は江戸時代前期に最盛期を迎え、有力藩の後ろ盾のもと多くの射手が挑戦し、記録更新が相次いだそうです。弓が作られたと思われる尾張藩においても、京都の三十三間堂での通し矢に盛んに挑戦していたようで、現在残っている記録にも尾張藩士の名が複数確認できます。
以上の事から、安易な考えではございますが、ペリー率いる黒船来航前年の嘉永五年(1852年)、幕末と言われる時代の直前に通し矢用の弓として尾張で作られ、尾張藩の弓術家によって愛用されていた弓と考えました。
その後、明治維新による士族階級の困窮から大量の旗本の弓、刀が古道具市場に流れました。その中の弓の一つがこの弓だったのだと思います。
・赤墨書の銘文などから、作成した弓師や、尾張藩士の名前、幼名などかもしれないと思い調べておりますが、未だ解明出来ておりません。
・手下(射手側)?に『嘉永五年ーーー除?』の赤墨書
・手下(表面)?に『兵』もしくは『仁八』の焼印
・下関板(射手側)?に『カン七』の赤墨書がございます。
・発送は佐川急便、飛脚ラージサイズ宅配便にて行います。
他にも様々な物を出品しております。
よろしければご覧ください。
宜しくお願い致します。